感情の解放とセットで知って欲しいクンダリーニの覚醒とわたしとエンパスの付き合い方

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エンパスとは?
高い共感力で他人の感情やエネルギーを敏感に察知したり自分のことのように感じたりする能力を持った人のこと。
日本人の5人に1人はエンパスだと言われていて、現在も増え続けている。

このエンパスという言葉をつい最近知ったのですが、ずっと探してたナゾがあっさりと。
ネットで検索するとエンパスについてたくさんの方が書いた記事が出てくるではありませんか。
いろんな方の記事を読んで、コレなんだなと思える点がたくさんありました。

そういう記事をあさってみると以前からそういう体質だったんだろうとは思いますが、わたしが極端なエンパスになったのは一時的な覚醒体験の直後からでした。

人の持っているネガティブな感情やエネルギーに反応してわたしの胸が痛むようになった。
鈍い痛み、うずくような痛みやズキーンとした痛みとさまざまだけど、それを感じて周りを見渡すと誰のものか分かるようになった。
特に思い悩んでるような人と会う直前に貧血みたいに意識を失って倒れたことも。
目の前にいる相手だけじゃなくメールがくる直前や電話で話しているときでも同じように痛んだ。

痛みだけじゃなく周りに黒いモヤモヤしたエネルギーが見えたり、ポジティブな強いエネルギーを持ったひとの周りには光が見えることもあった。

最初の頃は癒しの力とセットだったことと、当時のわたしのマインドでは、他人の痛みを自分の痛みとして感じることがとても幸せなことだった。
苦しんでいるひとに気づいて、癒しの力を届けることが自分に与えられた使命のように思えた。

人間だけじゃなく植物や食べ物のエネルギーも感じるようになって、日課の木にハグをした時にも胸が痛んで、エネルギーを奪わないでと訴えられた気がした。

肉をガマンしてベジタリアンになろうとは思っていなかったけど、自然にやめたいと思った時にそうしようとずっと思っていたので、その時がきたなと思ったけど、わたしの胸が特に痛んで食べられなくなったのはむしろ野菜。

果物にいたっては噛んだ汁が喉を通るだけでもガマンできないほどの激痛で、砂糖や甘みを感じる食べものほど痛みが強かった。
相手の痛みを感じる能力として考えると、農薬っていう毒を体にぶっかけられて育っているのですから当然の苦しみ。

血を流す流さないに関係なく、すべての命に感謝していただこうという教訓になった。

当時は胸が痛まず安心しておいしく食べられるものは白いご飯だけでしたが、テイストへの執着が手離せずに、ムリをしてと言ったら変だけど、痛みの少ないものから食べ続けていたらなにを食べても痛みを感じることはなくなっていった。

良くも悪くも鈍感になっていった。

覚醒体験から2ケ月くらい経って、癒しの力はどんどん消えて、マインドも徐々に変化していき、最終的に残ったのはエンパスだけだった。
使命のように思えていた他人の痛みを感じる能力は、それだけではただの苦痛になっていった。
痛みから相手や自分のその時の思考のパターンをずっと観察し続けていたのですが、なんの痛みなのかどんどん分からなくなっていって、最終的には怒りに変わった。
あなたがネガティブなエネルギーを発してネガティブな世界を生きていくのはあなたの自由だけど、痛いのはわたしなんだ!と他人に対して思うようになった。

それまでの痛みの質も変わっていき、胸の奥がむず痒いような、なにか詰まったような違和感を感じることが多くなった。
今となればブロックだと分かりますが、そのむず痒さがひどくなって全身にじんましんが出た。

自らエネルギーテロにアタックしてしまう体質でどう生きていけばいいかも分からなくなって、そんな時にインドに行きました。

当時読んだ本で悟りを開くことは、もうわたし(このマインド)は眠りについて、あなた(実在)にこの体をあけ渡します。ご自由にお使いください。ということだと思い込んでいました。

純粋な愛のマインドを体験してからの分離は絶望だったし、あけ渡すことが自然に思えたし、もう消えて楽になりたいと思った。
その方法を探し出すか、エンパスを取り除く方法を見つけるまでは日本に戻ることはないと決めていた。

インドではアシュラムと呼ばれる精神の修行者が集まる場所をめぐって、徐々に覚醒体験に至った理由が解けていった。

ヴィパッサナー瞑想の講話の中ではわたしたちはサンカ―ラという種を刈り取って輪廻転生から解放されるために何度も繰り返し生まれてくるのですが、そのサンカ―ラはなぜ生まれるのか?
感じたくない感情への拒絶反応ともっと欲しいという渇望。

痛みのパターンをずっと観察し続けていたのに分からなかったこと。
目の前の相手がもの凄くネガティブなことを話しているのにわたしの胸が反応しなかった時もあれば、そうじゃなくても胸が痛んで話していることが本心とは違うことが分かったりもした。
読心能力は持ち合わせてないので「今なに考えてたの?」と聞いてみたり、観察を続けていたのに分からなかったこと。

その講話を聴いた瞬間に持ってたパズルのピースがカチッとハマったみたいに繋がってコレだ!と確信した。
単にポジティブとかネガティブってことじゃなく、その感情に対する反応。
わたしの胸は他人のサンカ―ラに反応して痛んでた。
感情の解放でそういうことばかり考えてたハズだったのに、それまで気づかなかったのがウソみたいだけど。
それが真実だって気づくために、エンパス能力を授かったんだって感謝することができた。

ありがとう。わかりました。もう理解できたのでもうこの痛みから解放してくださいと思ったけど、10日間の瞑想合宿が終わっても相変わらずだったし悟りも開けなかった。

でもその10日間はあくまで瞑想方法を習得するための期間で、これから毎日続ければ絶対に成果はでる。
病気ってわけじゃないけど、治せる可能性は高いと希望が持てた。

その頃にはもう以前のように無差別に通りすがりの知らない人のエネルギーを感じ取ったりすることはほぼなくなって、自分が生きやすいくらい鈍感になっていた。
何度か会って会話をして心の距離が縮まった相手からはまだ感じるようにも思えたし、自分のものかもしれないし、よくわからなかった。

共感能力という観点でいえばそれらしいヒントはたくさんあったけど、胸が痛むナゾについてはまだ納得できるものがなかった。

これで帰国して毎日家にこもってヴィパッサナー瞑想だけしていても、その他にどーすんの?と思った時にすべて解決したようにも思えなかった。

その前に行ったアシュラムでクンダリーニヨガの名前を知って、OSHOでも毎日行われてるクンダリーニメディテーションからクンダリーニってなんだろうと気になって調べた時に、クンダリーニが覚醒する前に胸が痛むようになるという記事を見つけて、ヴィパッサナー瞑想でダメだった時はこっちを探ってみようと決めてた。

覚醒体験ってなんなの?といった時に、多くの人の体験をヨギがまとめたのを読むとわたしが経験したのはクンダリーニの一時的覚醒がシックリくるなぁと思っている。

心と体と魂の準備が整っていないのに、故意または事故的に(わたしの場合は知らなかったから事故)クンダリーニが覚醒すると、一時的に癒しの力を持ったり、神秘体験をしたり、自分は神だと思うようになったりするけど、それは一時的で智慧は与えられない。

なんでそんなことが起きたの?っていったら、
感情の解放=サンカ―ラの解放=チャクラに溜まったブロックの解放=チャクラの開花=クンダリーニの目覚めを誘発

こういう知識が知られていないのに、感情の解放の方法は簡単に得られる。
そろそろセット情報にならないと、わたしのように知らずに覚醒してしまう人もたくさんいるんじゃないだろうかと思う。

いいことだけじゃなくて理解されずに苦しんだり、統合失調症と診断されてしまうこともある。

エネルギーのことは東洋医学の分野で、西洋医学のお医者さんには分からないからうつ病にされてしまう。
東洋医学だけど、これも調べてみるとインドからヨガと気学が中国に渡って進化したもの。

 

結論的に今もたまにエンパスで痛みます。
うまく付き合っていくしかない。

でも今は他人のを感じるより、もっと自分と繋がっている。
自分のエネルギー、自分と向き合う方法をヨガ、メディテーションとして学んだおかげ。
要はエネルギーを消耗したり、失うことで痛みを感じるので、自分でエネルギーを作り出せることは大きな自信だし、バランスを取るための方法も知ってる。
完璧なコントロールはできないけど、知らなかった頃よりはサイコーにいい!
自分の力でここまで真実に辿りついたことを誇りに思ってる。

5人に1人は同じ体質のひとがいるって知ったことと、エンパスを調べていて悟りの一瞥体験について書いている方の記事を読んで、色んな体験をしてる人がいることに勇気をもらったので、痛みも喜びもありのままにシェアすることで似た境遇のひとにわたしからもなにか届けられたらいいなぁと思う。

やっぱり共感できる人がいるって嬉しい。



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プロフィール
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Mami Yuzawa

ヨガの発祥地インドでヨガを学び、資格取得。
数々のアシュラムに滞在、ヨガ・インドの文化を学ぶ。
ヴィパッサナー瞑想を始め、世界各地で数十種類のメディテーションを体験。
全米ヨガアライアンスRYT200
Mayaaインターナショナルヒーリングスクール サウンドヒーリングコース

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