今日はただ、今の思いを。
昨日は本当に大変な一日でした。
前日の夜中にブルブル震えだしたうちの愛犬でミニチュアダックスのくるみ。
昨日の朝もまだ体調悪そうに震えてて少し心配だったけど、病院に連れてくというのでわたしはコントラクトの仕事へ。
仕事が始まる直前にママからの着信に気づいて、嫌な予感ですぐにかけなおすとすごく慌てた様子。
「くぅちゃんが泡ふいて倒れて意識もなくてベロ出してて、本当にもうダメで死んじゃうかと思って!今タクシー呼んで病院に行くとこ」
すぐにわたしも病院に向かいました。
くるみは今年の4月に膀胱癌が見つかって、薬で落ち着いてはいたけど状態が悪化したのかと。
ほんと、後になるまで誰にも話さなかったけど。
その前月の3月にくるみの母親で、わたしの愛しい愛しい娘のさくらも昨年からの肺がんとの闘病生活を終えて天国に旅立った。
なんで大切な家族が苦しむ姿をこんな立て続けに見せられるのか。
病院についてみると意識は戻っていて検査と診察を終えたところで、腫瘍とは関係ないただの轉換で注射で落ち着いてるから連れて帰ってもいいと言われて会計を待っていたところ。
ホッとしたのも一瞬で、待合室で待ってる間にバタバタ暴れてすごく苦しそうに鳴きだして、あまりにも苦しそうでもう見てられない。
小さな体ですごく苦しんでる姿をみて、死んじゃうのかと思った。
代わってあげたいのに代わってあげられることもできない。
何もしてあげられない。
どうしようもできない。
涙があふれてさくらちゃんの姿とかいろいろシンクロして「さくらちゃん、くぅちゃんのこと助けて!!」ってこころの中で叫んだ。
ただ慌てて、先生に頼るしかなくて、なにもできなくて、ほんとうに無力さに打ちのめされた。
結果的に。
一旦ICUに預かってもらって夕方またお迎えに行き、ただの轉換にしてはボーっとしてる時間が長いのと目の腫れが気になるから、もしかしたらMR検査しないと見つけられない何かが別であるかもしれないと言われて帰宅。
朝はふつうに歩いてたのに、自分で立ち上がることもできなくなってる。
薬が効いてる間は眠ってくれたけど、起きるとバタバタしながら苦しそうに鳴き叫んで、痛いのか苦しいのかもわからないし、本当にどうしていいのか分からない。
発作を繰り返すくるみを、ナデナデしたり抱きしめながら、ほんとうにこのまま死んじゃうんじゃないかと思ってただただ一緒に泣くことしかできず、ママと2人眠れない不安な夜を過ごした。
今日は少し落ち着いてくれて発作もでないし、少し自分で歩けるようになってくれて安心しました。
このまま何もなく、順調に回復してくれることを祈ります。
本当に世の母親はスゴイなぁ~って関心。
だって赤ちゃんが泣いてるとき、痛いのか、苦しいのか、なんなのか言葉で教えてくれない。
そんな存在を育てるんでしょ。
わたしにはムリ。
自分以外に自分以上に大切な存在がこの世に増えるって、喜びと同じかそれ以上に、相手がつらいとき一緒に苦しいんだ。ってほんと、こういう時に痛感。
先生から、もし今夜なにかあったら救急に電話して相談してみなさいと言われてたから、発作が治まらないときに1度電話したんだけど。
できることとしては、鎮静剤を打って落ち着かせるか。
ICUの中で様子を見るか。
【痛みがあるかどうかは分からないので。痛み止めを打ってみて、もし効果があって落ち着けば、痛かったんだなぁという判断になります。
なんだ、ソレ?と思った。
基本的に薬は同時に毒だと思ってるので、必要がないのに打つなんてありえない。
でもきっとソレが正しい治療法で。
言葉を話さない動物には他には手段がないんだ。
でもその電話に出てくれた方はすごく親身になって一緒にいろいろ考えたり教えてくれて、すごく感謝しています。
さくらちゃんの闘病との生活を通して。
ほかにも身近なところから聞こえてきた病気との関わりの中で、なにか自分にもっとできることがあればいいのに。っていう想いと願いが、再生医療との出逢いを引き寄せたハズなのに。
結局今のわたしにできることって何もなくて、ただただ泣くことしかできない現状。
前回のブログで、わたしは100%完治するとか書いてた自信はどこにいっちゃったのかしら。(再生医療だけじゃなく、いろんな情報で。)
自分の大切な人の役に立てなかったら、なんの意味もない。
今でもさくらちゃんに対してもっとできたことが何かあったんじゃないかって思うし、今になって思うとほんと、当時のわたしのメンタルぼろぼろだったな。
今くらいの心に余裕があれば、せめてもう少しでも、寄り添えてたらよかったな。
くるみにはわたしが飲んでる幹細胞のサプリを、母が毎日少しづつ舐めさせてあげてました。
もちろんサプリのおかげで癌が治るわけではないし、それでもなにか鼻水のひどい症状が緩和されたり、健康に少しでも役にたてばという思いで。
でも昨日すごく気が動転して、自信がなくなって。
もし仮に、どんなに幹細胞が万能で、最強で、副作用もなしで、どんな病気も治す魔法の特効薬だったとしても。人間と犬では違うんじゃないか?とか。
もし、その副作用で新しい病気が発症してしまったんだとしたら?とか。
そんなことは絶対に!ありえないと分かっていても、異常事態を前にしてよぎってしまった。
最近読んでいる研究者の人のお話を読んでても、コレだ!って思ったものがそうじゃなかったり、でもその経験があったおかげで後になってものすごい成果が生まれたり、人生のストーリーって壮大。
医療も研究も本当に計り知れない人たちの犠牲と葛藤と想いの上に成り立ってて、それでもつねにどこかの途中なんだって思うと、わたしなんかすごいちっぽけ。
今のこの感情と出来事を体験することがこれからのわたしにとって必要なことで、あとになって生きるステージにいくのでしょうか?
Love you all ♡ 最後まで読んでくれてありがとう。